はてなブログを一旦止めます
連休中。体調は相変わらず良好。あとは仕事に復帰できればといったところ。
ただそのためには
①ミスを恐れてミスをする悪循環を止める
②難易度・量・役割・立場など仕事のやり方を含めた再仕分け
③できることから時間をかけてやっていく
この3つを会社・上司と相談して通す必要があると思っているが、無理かもしれない。
さて突然ですが、ブログの更新を一旦止めます。
このブログ”私にはもう時間がない”で文章を書き始めたのが2年前。タイトルには「社会に適応できなくなるまで」もう時間がないという意味を込めていました。
i-dont-have-any-more-time.hatenablog.com
それから2年。自分の考え・気持ちの整理用に400本ほど書いてきたのですが、先月ついに体調を崩して仕事を休養することになりました。この2年間で仕事・責任・難易度が増し、人間関係も含めて精神的に疲弊する日々が続いたのが原因です。
加えてコロナによる外出規制、特に趣味であったライブ・イベント関連がなくなってしまい、心の支えをなくしてしまったのもあると思います。多くのイベントがネット配信に切り替わってはいましたが、仮想的な部分がどうしても拭えず、外出による環境の変化と体験としての役割を失ってしまったのが大きかったです。
現在の私は社会に適応できなくなり、前向きな内容も書けそうになく、その状況はまだまだ続きそうです。
こうなった時を見据え、過去同じような状況に陥った時にどう立ち直ったのか、その備忘録としての役割もこのブログには与えていました。それを振り返るタイミングが来たんだと思い、更新を一旦停止する次第です。ブログの削除までは行いませんが、何かを記録したい時は当面別の場所で書くと思います。
最後に、これまでスターやコメント、ブックマークをしてくれた方々、読んでいただいた方々にお礼申し上げます。
今日はこの辺で。
何処から立て直していくか
世間はGW。といっても外出自粛、コロナ蔓延のリスクが重なって去年より状況は悪化していると感じる。
昨日は天気も良かったので、朝から風呂・掃除・洗濯を済ませ、午後からは買い出しにも出かけた。蛍光灯や芳香剤、布団カバーなど必須ではないけど古くなってきたものをメインに買い進めていた。
さらに散歩もして、人気のない公園でボーっとすることで日光浴をしていた。気持ちがポジティブになるのがわかる。スゴイなドーパミンとセロトニン。
これだけスッキリとした気分で休日を過ごせたのは何年ぶりだろうか。今までは心のどこかに仕事が頭に残っており、年休明けからの憂鬱に怯えながら過ごしていたと思う。少なくとも今はそれらが全くない。今後のことも確かに不安だが、今までと違ってあまりにも漠然としているので感じにくいのかもしれない。
散歩の途中で本屋にも寄った。占いの本を読む。色々書いてあり、全部が全部当たっているとは思えなかった。ただどの占いを読んでも、今年は運気が悪いと書いてあり、じっとしているか、時間をかけた方が良いと書いてあり少しだけホッとした。
気付けば夕方、食事を済ませ、ネットをダラダラ見るうちに夜に。ところがここから様子がおかしくなる。何だか寝つきが悪く、どんどん思考が深くなっていく。
あぁ、また現実と向き合う時間がやってきたのだなと気付く。今後どうやって復帰していくか具体的なシミュレーションが脳内で再生される。ところがどうやっても失敗に終わる。というか先に進めなくなる。原因を探ると以下の通り。
①メンタルの弱さ:私は根源的に”怒られる”のを恐れており、幼少期からずーっと抱えていた問題である。部活とか学校とか”集団”で怒られることは気にならないのだが、個人として責められたら弱いのだ。一度や二度であればやっていけるが、中長期的に渡ってそれが続けば潰れてしまう。これまでの努力?は全てそれらを避けるためだった。その恐れからミスを誤魔化そうとする手段でさえ取ってしまう。今後もそれを続けるのならば復帰は不可能だろう。
②仕事は選べない:ならば怒られないように仕事をすればいいじゃないか?それでは前と同じ、ノルマとプレッシャーからまた同じことをするだろう。では業務内容を変えて見れば?具体的には?スケジュールは?再発防止は?職務に見合っているか?転職しても異動してもそれは付いてくる。競争・成果・グローバル・生存・困難な課題の解決。そんな甘い考えが通用するとでも思っているのか?
答えは見つからない。でもいつまでもこうしてはいられない。早く、早く復帰しないとどんどん状況は悪化する。小さなことからやり直すか?そんな時間も余裕もないだろ。怖いからと言って1年、2年、見合ってもいない仕事するつもりか?そんな罪悪感に耐えられるとでも思っているのか?
”潔さ”そんな言葉を思い出す。無理なら無理で潔く去った方がいいのではないだろうか。損切と言ってもいい。その後はともかく、まずは傷口を塞ぐのが先か。あるいは何が何でも生き抜くのを優先するか。恥もプライドも捨て、惨めでも生きることを優先するか。
まだ答えは出ない。時間もない。どうしたらいいのかわからない。
今日はこの辺で。
現場検証してわかったこと
体調を崩してから半月、久しぶりに出社した。起床した瞬間に猛烈な不安が襲ったりしたけど、パニックにまではならず、思っていたより普通に出社できた。
とりあえずリハビリということで特に何もしなかった。100通以上溜まったいたメールを1つずつ見ていき、時系列を追う。営業からの繰り返しの催促、現場でのトラブル、その他催促、色んなことがあったようだ。
そのまま朝の進捗会議にも参加する。こちらもトラブルまみれで思わず目をそらしてしまった。隣の人がそれに気づいたようで、「目の焦点が合ってないけど大丈夫?」と言われた。
その後は社内を散策して、色んな人と話しながら自分の目で現実を確認する。思っていたよりはマシだったようだけど、自分が起因となった炎上案件はまだ燻っているようだ。「まぁ気にするな」と一緒にやっていた人には言われたけど、そこには疲れや苛立ちがハッキリと見えた。
上司やさらに上の上司と軽く話をする。とりあえず今日は体を慣らすこと、こうなった原因、これからは1つのことに集中した方がいい。色々声をかけられた。
もう1つ自分が抱えていた大き目な案件のその後を確認する。データは私が動けなくなる前にまとめていたし、何とか終わったらしい。ただ資料からはまとめるのに時間がかかったこと、説明への配慮や工夫など苦戦し続けていた形跡が見えた。
もし自分がやっていたとしたら・・・どのみちここで行き倒れていただろうな。運命論は信じていないけど、こうなることは予め決まっていて、どう足掻いても収束したんだろうなと思ってしまう。
社内を一周して感じたことは”こんな状況の中に自分も入っていたのか”という思い。距離を取り、客観性を持って自分の職場を見てみた感想だが、”滅茶苦茶”、”手が付けられない”、”多忙”、そんな印象を持った。
ちょっと前まで自分も当事者として参加していた。でも目の前のトラブルの多さと苛立ち、忙しさを今の自分は到底受け入れられそうにない。冷静に考えれば、1つ1つに担当者がいるのだから、全てが自分の責任という訳ではない。そうわかっていても見て見ぬフリをするには多すぎる。
半日が過ぎた。体はまだまだ動くし、人とも普通に話せる。久しぶりの出社にしては上出来だと自分で自分を褒められる・・・訳などなかった。ここで前のように仕事ができない限り、社会復帰とは到底言えない。社会を嘗めるな。マイペース?笑わせるな。世界はお前のことなど知ったこっちゃない。ふざけるなよ。
午後。自分の立ち位置を見つめていく。周りの人たちはせわしなく動き続けているのに自分にだけ仕事がない。”あぁ自分は干されたんだな”そのことにようやく気付く。仮に仕事が元に戻ったとしても潰れるビジョンしか見えず、覚悟もできない。
もう1つ現実を見て気付いたことがある。体調を崩すキッカケ。遡ること1年前、上層部からのノルマやプレッシャーに晒されて、”無理”をしてそれを通してきた。そこには1つ1つは些細なことだったけど、多くのミスや間違いがあり、それを見て見ぬフリをしてきた。
積み重ねた成果は夏~秋ごろに評価された。ただ同時に積み重ねたミスも溢れ始めていた。それが発覚して上司から怒られることが増えた。仮にちゃんとやっていたとしてもノルマ未達となってどのみち攻められていただろう。まるで詰み将棋のように収束はここから始まっていたのかもしれない。
今のコロナ・オリンピックに関するグダグダ、コンコルドの誤謬という言葉のように、規模は全く異なるけど、もう後に引き返せなくなった状態に私は嵌まっていた。それでもトライ&エラーで進んでいけば・・・そう思いながら冬を過ごしてきた。厄介だったのは別の大きな仕事がどんどん増えており、溜まったミスを放置し続けてきた。
そして今、そのツケが払えなくなった・・・というのがオチになる。子供のような言い訳だが上司に怒られるのも嫌になっていた。そしてそれを回避するため、さらにツケを重ねる日々。完全に悪循環に嵌まっていた。
その現実を明確に認識したのは夕方。今後のことを上司に相談しようと思った時、怒られた光景がフラッシュバックしたのだ。またこれを繰り返すのか?そう気づいてから体が動かなくなった。その後、胸に絶望感を持ったまま帰宅して今に至る。
ならばどうするのか?それでも前のような日々に戻すか?また体調を崩すだけ。自分にできることからやり直すか?具体的には?それは会社の要求レベルに合っているのか?
どう見ても詰みです。本当にありがとうございました。
今日はこの辺で。
久しぶりに不安で目が覚めた
起床。今日は久しぶりに不安で目が覚めた。寒さによるものかもしれないけど、一瞬確かに胸が痛むのを感じた。
現在、短期休職中で明日出社することにしたのだが、それが影響しているのだろう。大体半月ぶりの仕事。不安の感じるのは当然だけどやっぱり嫌な気分だ。
前まではこれを数ヶ月以上、もはやルーティーンのように過ごしていたと考えると我ながら恐ろしいと感じる。今ならわかるが異常な状態だったのは間違いない。
朝起きて行動するという習慣も崩れているので、今も眠気が残っている。少しでも取り戻すためにこうして文章を書いて時間を潰している。
休んでいる間、色々考えた。こうなった原因、やりたいこと、価値観、そして現実の仕事について。
原因はキャパオーバー、プレッシャーを全て自分で抱え込んでしまい、その結果どれも失敗してしまったこと。スキル不足、苦手もそこにはあったと思う。
やりたいことは外に出たり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、マンガを読んだりすること。あと仕事を通じて感謝されること。要は承認欲求である。
価値観。これは最近掴んだことだけど、”楽しさ”の他に感謝やお金など”有意性”を持っていることが分かった。家に引きこもるだけでなく、体を動かす意味でも外に出たり、出れなくとも好きな音楽を聴く方がメンタルには良いのにそれができない日があった。
これを探っていくと、”価値”がないからという答えに行きついた。人の役に立たないければ、お金になるようなことをしなければ意味がない。結局、買い物ついでに外に出て散歩して、日光の温かさや花や木の美しさに触れることで、それは間違いだと気づけた。
でもそれも”余裕”があるからこそかもしれない。仕事で潰れかけていた時も同じように感じれるだろうか?おそらく無理だと思う。やはり仕事を何とかする必要がある。
それ以外にも不安は残る。元には戻れないという不安。自分で決断して生み出した今の状態。もう前のように働くことは難しい。そして会社は社会貢献を通じて利益を追求する場であり、お金をもらう以上、要求がある。私にはその要求に応えられないという問題。
実際、今の職場で同じような状況に陥った人を何人も見てきた。そしてそこから元通りに復旧できた人は”皆無”である。上記に基づけば当然の帰結だろう。足手まといなのは事実だし、自覚しながら働き続けるのは難しいのだろう。異動や転職により環境を変えようもそれは同じこと。
これが競争社会。負けたら去る。それでいいのかもしれない。このまま無理して外の温かさを感じられなくなるのなら・・・。所謂レールから外れるのも終わりとは言い難いのかもしれない。
でも働かないとそれはそれで別の問題がある。そのジレンマとどう向き合っていくか、引き続き考えていきたい。
今日はこの辺で。