私にはもう時間がない

日々の出来事に対する議事録のようなもの

「豊崎愛生のおかえりらじお」公開イベント:夜の部

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天候は曇り時々雨。肌寒いが蒸し暑い

という中々のコンディション。

 

今回は夜の部のみ参加し、

ゲストは寿美菜子さんであった。

 

イベントの感想として、大きく分けると

①お客さんとの距離感

②お客さん主体の構成

という、お客さんをとにかく意識したイベントで

あったというのが他との違いだろうか。

 

*後日一部放送のため、ネタバレは少しだけ。

 

①距離感について、放送時間の関係もあるが

何より「ふつおた」が多かった。ゲストを呼ぶ前に

時間を多く使って読み上げる。印象的だったのは

「顔も覚えるからね」という豊崎さんのファンを

大事にしたいという配慮が明確に伺えたことだ。

 

②構成についても、お客さんとの電話相談。

お客さんの提案に合わせたお二人の行動。

最後に豊崎さんから歌のプレゼント。もはや

ファン感謝祭と言った方が正確かもしれない。

 

ここまでお客さんの声を拾ってもらえるなら

もしかしたら私も・・・と「ふつおた」を

送りたくなる意識になるのは当然か。それが

ラジオ番組として長生きの秘訣なのだろう。

 

生放送慣れしてるだけあって、進行もスムーズ。

寿さんも完全に遊びに来た妹モードで、自由に

動いていたので、それがまた良かった。

 

最後に1曲歌ったのは、正直意外だった。

感謝を言葉ではなく、歌で伝える方が

届きやすいし、何より歌っている自分の姿を

ファンに見せたかったのかもしれない。

繰り返しになるが、豊崎さんの

「ファンを大事にする」という人柄が

随所に見られたイベントだったと思う。

 

余談だが、今回のイベント場所は虎ノ門

ニッショーホールで、周りに高層ビルも多く、

近くまで行かないと建物が全く見えず、

駅から歩いても中々辿り着かないという

心理的なしんどさがあった。

 

その分イベントが始まった時、帰宅した際と

同じような安堵感も大きくなったので

これはこれで良かったのかもしれない。

 

今日はこの辺で。

ただいま

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東京より帰宅。今回のお出かけをまとめる。

 

昨日、今日とで上野の「国立科学博物館」と

「国立西洋博物館」に行っていた。

 

天候不順だったのでお散歩系ではなく、

じっくり鑑賞をする方向に行きついたのだった。

 

まず「国立科学博物館」から。

特別展示ではなく常設展のみを見ることにしたが、

とにかく広い・・・そして展示品が多い・・・

何よりレベルの幅が広く、子供向けだけでなく、

大人向けの専門領域についても解説されていた。

 

自分の性格として、恐竜や生物の骨や標本は

RPGに出てくるイメージをしていまい、

どんな攻撃をするのか。対処法は・・・などと

骨を見ながら、想像の世界に入ってしまう。

 

建物の造りも、順路というのが定められておらず

自由でありつつも、見落とさないように色々

探し回ってしまう。それがまた楽しい。

 

自分の専門分野?に関する展示もあり、

学校で習ったことを、ここで復習する意味で

訪れたかったなぁ・・・と今更思うのであった。

 

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次に「国立西洋美術館」。どちらにも

言えることだが、連休&雨であったので

いつも以上に混雑していた気がする。

 

これまた私自身のことであるが、和と洋なら

洋風に惹かれる傾向があり、建築物や風景画を

見て当時の生活をイメージする。これもRPG

由来しているのかもしれない。

 

こちらはじっくり見て回る時間があり、

1つ1つ世界観を想像しながら進んでいたら

思った以上に足が疲れてしまった。

 

ちなみに、美術的センスおよび知識など私は

持ち合わせておらず、こうした鑑賞も久しぶり

だったのだが、それでも十分に楽しめることが

わかった。もう少し知識があれば新たな趣味に

レベルアップするのかもしれない。

 

30歳を超えると、趣味嗜好は固定化されるか

衰退し、吸収する力も弱まるとされているが、

まだ自分には好奇心が残っているというのは

良いニュースであったと思いたい。

 

今日はこの辺で。

外こもり

昨日から東京のビジネスホテルにいる。
今日の豊崎愛生さんの「おかえりらじお」
公開イベントに備えているのもあるが、
単純に家から離れたかったのもある。

いつもは朝一から出掛けてブラブラするのだが、
着替えがないことに気付き、洗濯していたので
ホテルに着いたときには夕方だった。
ぼちぼち下着含め買え揃えの時期のようだ。

到着後、夕食を済ませ、ホテル周辺を散歩するが
小雨のためあまり遠くには行かず、すぐ戻って
部屋でダラダラ過ごすことにした。

これじゃあ、家にいるのと変わらないと
思うかもしれないが、見る景色が違うし、
気分転換には十分であった。

今日のイベントまでの間、どこに行こうかも
決めていない。だが何を考えるかは決めている。「今後のこと」である。

これが最後になるかもしれない。一応それも
心に置いているのだが、外を歩く内に
周りの情報処理に集中し、頭が空っぽになる。

だから見知らぬ場所を散歩するのは
メンタルに良いとされるのかもしれない。

移動と宿泊費を除けば、対したお金も使わない。
結構お手軽な趣味だと改めて認識するのであった。

休日とはそもそも疲れを取るものなので、
さっさと寝て、明日は銭湯に行って美味しい
モノを食べようと思う。やることは変わらないが、
場所が違うだけで効果も違うのは何故だろうか。

今日はこの辺で。

マンガ世界の住人

出典:いらすとや https://www.irasutoya.com/

 

趣味・・・ではないのだが、

元々少しだけテニスをやっていた。

 

今はウィンブルドンのシーズンであり、

錦織選手 VS フェデラー選手を見ていた。

 

以下、ド素人の浅いコメントです。

ご了承ください。

 

錦織選手が凄いのは言わずもがな、

私にとってはフェデラー選手は昔から

見ていて、宇宙人のような存在である。

 

「!?」というプレーを何度もやってのける。

マンガ世界の住人ではないかと思うほどだ。

 

錦織選手も素晴らしいプレーだったのだが、

それでも敵わない。「次元が違う・・・」

という表現がピッタリであった。

 

フェデラー選手をマンガで例えると、

ドラゴンボール孫悟空である。

それぐらいの強さだと私は思っており、

サイヤ人に地球人が対抗する。それぐらい

先日の試合には価値があった。

 

さらに次のフェデラー選手の相手は

ナダル選手であり、彼もまたサイヤ人だ。

例えるならベジータであろうか。

 

悟空 VS ベジータ・・・

子供時代にワクワクしたこの対戦を

また見れることに感謝したいと思う。

 

(ただこの例えがしたかっただけである)

 

今日はこの辺で。

 

正体見たり

出典:いらすとや https://www.irasutoya.com/

 

最後の中ボス戦が終わった。

そして、不安の正体が判明した。

 

「お前の考えはどこだ?」

「自分の言葉で書けよ」

 

これが今の私に欠けているモノだったのだ。

 

会社で人に合わせる、社会に合わせる。

合理的に考え、適切な回答を導き出す。

そんな日々を過ごす内に、相手に合わせるのが

自然となってしまい、私の考えが消えていた。

 

実は、これを言われるのは初めてではない、

古くは学生時代に問われ、その時は言っている

意味がわかっていなかった。

そして最近、仕事で同じことを言われたが、

論理性、知識が足りないと認識していた。

 

私は現実を見て、合理的な選択をするのが

習慣と課しており、それを「自分の考え」と

思い込んでいたのである。だがそれは間違いで、

真に問われていたのは「自分の考え」をどう

論理的に導き出したのかということであった。

 

今回も社会や会社、組織でよく使われる

ワードを引用し、現実を見て分析を行い、

最適化された回答を準備していた。さらには

適切な表現であるか辞書を使って選別していた。

そこに上司が引っ掛かり、判明したのであった。

 

多分私は「正解」にこだわり過ぎていたのだろう。

問題文に対して引用した正論を並べて回答した。

だが、文の末尾には「自分の考えを述べること」

と書いてあったのを見過ごしていたのだ。

 

とはいえ、自分の考え「だけ」を述べても、

なんのこっちゃ?となるだけであり、

周辺環境を踏まえた上で、オリジナリティ、

アイデンティティを示せと言うことだったのだ。

 

何と厄介なことだろうか。これは日々

仕事を進めていても気付きようがない。

合理的に考え、自主的に動き、衝突も起こさず、

組織の考えに基づいて行動しているのだから。

 

修正は間に合わなかった。裁きの日は来月。

ここをラスボスに突かれたら即死だ。

それまでに私にできることは何か。

もう勝敗は決しているかもしれないのだが。

 

一先ず、ゆっくり休もうと思う。

これが最後の休息になるかもしれない。

 

今日はこの辺で。

今の私に見えていないモノ

出典:いらすとや https://www.irasutoya.com/

 

今日も雨、なおかつ寒かった。

疲れか、ストレスか、天候不順なのか

午後からは頭痛も発生し、吐き気すら催す

レベルで体調を崩してしまった。

 

仕事も山場。何だか嫌な予感がする。

致命的な何かミスをおかしているような

そんな気がしてしまう。確認してもらうが、

もし当たっていても修正は難しい。

 

他にも何かある気がして疑心暗鬼になる。

人に頼りすぎていないか?そもそもテーマを

間違えていないか?体裁は大丈夫か?

頭痛が酷くて思考がまとまらないので、

昨日より早く会社を後にした。

 

家に帰り、暖かいものを食べ、薬を飲む。

幸い頭痛は収まったようだ。今できることは

明日悪い予感が的中しても対応できるよう、

体調を整えておくことだ。

 

ここまで書いてもう1つ懸念事項があることに

気付く。大丈夫、諦めるにはまだ早い。

今修正できることは、自分を救うのは自分だけ

であるということ。そして足掻くこと。

 

勝てるビジョンが見えない。やはり

今の私にはここが限界なのかもしれない。

だとしたら足りないものは何なのか。

それが不安の正体なのだと思う。

でも、それを探している時間はもうない。

 

あまりダラダラ考えても仕方がない気がする。

絶望を迎える覚悟だけはしておこうと思う。

 

今日はこの辺で。

社会に染まりすぎている

出典:いらすとや https://www.irasutoya.com/

 

仕事の修正を繰り返す。何度も何度も・・・

努力しても、それが報われるとは限らない。

時には無慈悲に敗れ去ることだってある。

 

「全てを失っても生きる意味」

 

今は自分の生き様を証明するために

何とかやっているのだが、それができなく

なった時、私はどうなるのだろうか。

 

合理的に考えると、何もできないことが

証明されたのなら社会から去るべきなのかも

しれないが、それが正解だとは到底思えない。

一方で迷惑をかけてもいいという訳でもない。

 

考えが上手くまとまらない、というより

合理的な考え方に染まりすぎているのかも

しれない。生産性、社会、集団という考え方に。

 

少しわかってきた。日々会社と家を往復し、

社会集団の中に揉まれ、生産性を追い求めた結果、

それ以外の考えができなくなりつつあるのだ。

 

だから、まずは環境を変えないと、

この問いに誤った回答をしてしまう恐れがある。

そうじゃないコミュニティ、場所を訪れ一度

脳みそをリセットして来ようと思う。

 

1つだけ言えるのは、全てを失った時、

私が生きる意味をどう捉えるのかは、

その時居た場所に依存するということだ。

 

極論に走ったり、暴言、失言をする人はそれが

正しいとされる環境に長期間滞在しているから

なのかもしれない。そう考えると、やはり

個人ではなく、周辺社会の問題なのかもしれない。

 

体力、気力共に限界が近いけれど、

もう少し何とかやっていこうと思う。

 

今日はこの辺で。