私にはもう時間がない

日々の出来事に対する議事録のようなもの

憂鬱のサイクルと赦し

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出典:いらすとや https://www.irasutoya.com/

 

今朝は目が覚めた瞬間から憂鬱な思考がよぎった。

 

 

幸い〆切りがある仕事が少ないのもあって、

早退することを決意。ギアを上げて仕事に

取り組み、さっさと帰宅する。

 

帰宅後、気付けば眠っていた。目が覚めてから

また憂鬱な思考が脳裏によぎる。体も重く、

心身の電池が切れていたようだ。

 

しばらくジッとして、少し落ち着いてから食事を

取り、お風呂にも入った。思考が安定してきたので

整理もかねて憂鬱な思考の中身を記載していく。

 

世間の皆はパートナーや家族を持ち、家を建て、

どんどん次のステージに進んでいる。それに比べ

私は何をしている?家族や社会に貢献もせず、

現実逃避と称し、ゲームをしている場合か?

働いていればそれでいいと思っているのか?

足手まといになっているとは思わないのか?

皆、幸せに進んでいるけど、私はどうなのか?

 

もちろんこれが極論であるのはわかっている。

でも問いに対して自分が正しいとも思えない。

時々こうした憂鬱が私を襲ってくる。多分、

社会に浸かりすぎた弊害だと思っている。

 

仕事で、会社で、常識的な振る舞いをするうち、

段々と実際の自分との乖離が激しくなっていく。

それがある時を境に自分に牙をむくのである。

 

いくら現実逃避や思考の切り替えをしようと、

それは一時しのぎや誤魔化しに過ぎず、解決策は

さらに社会に適応する他はないと思っている。

 

最近、節約をしているのも原因だと思う。

欲望を抑え、家でジッとしているうちに思考も

閉鎖的になってしまったのだろう。

 

今日から遠方への外出規制も解除された。

ライブやイベントでの遠征時によく使うホテルから

格安プランの通知も入った。今住んでいる街から

離れて人生を見直すいい機会かもしれない。

 

解決策にはならないけど、このまま向き合い

続けても何も変わらない。余計に悪化するだけ。

悩みの根源にあるのは、今生きていることへの

肯定と承認欲求なのだから。

 

あるいは他の誰かが幸せであるという思い込みと

羨望・嫉妬なのかもしれない。でもそれは妄想だし

あの人は幸せだろうと私が思っていても、実際は

違う可能性の方が高いはずである。

 

パートナーとの関係が良くない人。ローンを抱え、

自分が使えるお金の全くない人。プライベートは

幸せでも仕事は私以上に憂鬱な人。順風満帆な

人生を送っている人も確かにいるだろうけど

ほとんどの人はそうではないはずだ。

 

一気に吐き出したので、大分落ち着いてきた。

ゲームなど趣味をする心の余裕が生まれてきた。

私は社会にとって足手まといかもしれないけど、

悪事は働いていないのだから、趣味ぐらいは

許してほしい。そしたらまた働くから。

 

今日はこの辺で。