私にはもう時間がない

日々の出来事に対する議事録のようなもの

非日常の大事さ

祝日。明日から出張になったので、前入りを兼ねて今朝から移動を開始した。出張といっても、そこまで遠くはないので会社からの許可も出たのである。要は始発でも間に合わないぐらいの距離なのだ。

時間があったので最寄り駅までは交通機関を使わず歩くことにした。普段は車窓から見る景色をのんびり歩いて見て回る。そこから普段は行かない道を使って最寄り駅を目指すことにした。

堤防を歩いて川沿いに駅へ向かう。天気は良いけど雲もあり、時々日が隠れる。風はやや強く、歩いているから気にならないけど、昨日より気温が低いのを感じる。まだ春は遠そうだ。

堤防の途中で道を切り替え、今度は田んぼに出る。何も実りはなく殺風景が広がるが、ちょこちょこ人が居て、何かを植えたり、手入れをしたりしていた。春に向けての準備だろうか。

田んぼを抜けると今度は広い公園に着く。段々駅が近づいてきて街並みが大きくなり、人や車が増えてきた。ここまでで家から約一時間ほど、缶コーヒーを買ってベンチで休憩する。

晴れていて、雲がある。風が強いので雲がどんどん流れ、陽射しと影が交互に繰り返される。その明暗差を見るのが結構楽しいかったけど、じっとしていて寒くなってきたので歩くことを再開する。

公園の中にカフェがあって混雑が出来ていた。最近の感染数の減少と天気の良さ、週頭の休日を考えれば我慢してろと言うのも現実的には無理があるのかもしれない。あと次の祝日は4月末までないことを心のどこかで不安に思っているのかもしれない。

駅前に着き、ちょうど昼頃だったので飲食店に入り昼食をとる。まだまだ時間に余裕があったので大型書店に寄って色々立ち読みすることにした。

最後に駅前を散策したのは一年以上前かもしれない。それだけ家と会社周辺しか往復していなかったことを考えると、よくもまあ耐えれたものだなと思ってしまう。ただメンタルが危うかった時期もあったし、たまたま運が良く生き残っただけかしれない。

ストレスの専門書、今やっている勉強関連の本を一時間かけて立ち読みし、いい時間になったので駅から出発し、ビジネスホテルに入る。ホテルに泊まるのも一年以上ぶりだろうか。最後に泊まったのはスフィアの全曲ライブだったか。

ホテル周辺の散策は控え目に、部屋で昼寝したり、ネットをしたり、酒を飲んでいたら今に至る。非日常となった今、凝り固まった思想やメンタルが変わってきたのを感じる。やはり旅は良いものだと再認識する。

でもこうも考えてしまう。それに何の意味があるのだろうか。一時的に目の前の現実から逃れても何も変わらない。ならば旅に出る意味などないのではないか。

散歩も、仕事に関係ない本を読むことも、風景を変えることも、現実を変えるには至らない。だから寝る食べる以外の全ての時間を使って、目の前の課題と向き合う方が効果的ではないだろうか。

ただそれも何の意味があるのだろうか。全ての問題を解決し、ストレスない状態を作り上げることもまた不可能なのだから。やればやるほどまた別の問題が生まれ、難易度も上がることにもとっくに気付いているはずだ。

ならば趣味とは、気晴らしとは、現実逃避のためだけでなく、出口のない絶望という仕事に対する唯一の対抗策ではないだろうか。だから趣味や気晴らしも本気でやらないと、人生全部が仕事で埋め尽くされてしまう。それこそ詰みである。

何のために働くのか、身を削って稼いだお金をどこに使うのか、外に出ることで思い出すことが出来た。やっぱり環境を変えることは素晴らしいと思うのであった。

今日はこの辺で。