私にはもう時間がない

日々の出来事に対する議事録のようなもの

”やりたいこと”はないけど”やりたくないこと”がある日々

今週のお題「祝日なのに……」

 

日曜日。今週も何とか生き残った。ストレスに晒され、安心と不安の境目を行ったり来たりしている日々。生きるって大変だ。

 

外出規制は解除されているとはいえ、万が一感染した時、説明やら責任やら問題やら反省やらをすることになるので迂闊なことはできない。自由をなくし、会社と家を往復する日々はまさに社会の歯車に等しいと呼ぶに等しい。

 

さらに祝日なのに三連休ではないのだから、もう諦めて仕事のために生きろと言われている気さえしてくる。いつになったら自由に生きれる日々が戻るのだろうか。

 

家でできることをやって何とか気を紛らわせる。土曜日は録画した番組、ラジオを見て、後はひたすら寝ていた。いい天気だったので買い物がてら散歩をすると桜が少しだけ咲いているのを見かけた。

 

来週には見頃だろうけど仕事があるので見に行けないかもしれない。そう考えると少しストレスが溜まる。何でここまでせにゃいかんのか。30代を過ぎて最近益々仕事でやることが増えてきた。

 

責任、心持ち、リーダーシップ、マネジメント。そういう説教をよく喰らうようになってきた。これは30代後半から~40代がすっぽり抜けており、それ以上はリストラしようとしている社会構造上、私たち世代にそうした対応がすっ飛ばして回ってきているのを感じる。

 

そんなことを言われてもまだまだ経験が足りない気がするし、こっちの話は聞いてくれないのだからストレスに感じてしまう。足りない分は自己啓発しろってことにも腹が立つ。もっと上の世代が残した社会のツケを私たちが払わされている気がする。

 

その結果、休日あるいは平日の帰宅後も勉強する日々が続く一方、趣味は規制され続けている。どんどん人生が社会に浸食されて気がして嫌な気分になる。嫌なら辞めればいいけど、辞めた時のデメリットを享受できないというジレンマに陥っている。

 

どんどん思想が暗くなるので話題を切り替える。昨日の晴天はどこへやら、今は雨が降っている。そういえば最近傘をなくしたことを思い出す。

 

なくした経緯としては、雨の予報が出ていたので出先に傘を持って行き、帰りには晴れていたので出先に傘を置いて忘れてしまったという単純なもの。その”忘却”という行為に自分というか人間のメカニズムが上手く働いているなと思ったのだ。

 

実は去年も一度傘をなくしているのだが、その時も全く同じ状況で、出先に傘を持って行き、帰りに忘れてしまったというもの。もし帰りも雨が降っていたらおそらく忘れることはなかっただろうに。傘を記憶する行為に雨が降っているか否かがトリガーになっていることに気づいて感心してしまった。

 

その時は両手に仕事道具を持っていたのもあるのかもしれない。要はそれを忘れず持って帰ることを記憶が優先したので、優先順位の低い傘のことは忘却してもいいと脳が判断したのかもしれない。

 

ならば超高級な傘を買えば良かったのかもしれないが、それだと仕事道具を置き忘れていった可能性がある。だがそっちの方が困ったことになるので、結果的に自分の脳は正しい判断をしたことになる。

 

仮にもっと記憶力が良ければ忘れなかったのかもしれないのだろうか。でも”忘却”という力も作用していた以上、それは関係なく、回避不能の現象だったという結論になるのだろうか。ならば対策としては安い傘を買うのが正解だということになる。

 

”傘”一つでここまで人体の不思議について考えられた。いい時間つぶしにはなったかもしれない。現実逃避もそこそこに勉強をやっていこうと思う。”やりたくないこと”だけどやっていかないと生存できないのだから仕方がない。

 

今日はこの辺で。