私にはもう時間がない

日々の出来事に対する議事録のようなもの

心の甘えと現実の忙しさ

連日の日記。決断を迫られている。復帰するか引き続き休むか。焦りが生じている。

 

体調は悪くない。不安も今はない、ずっと家に居るのだから当然だろうか。ならば仕事に行けばいいのに、それが決断できない。現実から目をそらしても何も変わらないのはわかっている。むしろ休めば休むほど状況は悪化するだけ。なら一旦復帰するか?でも根本原因が解決されない限り、元の木阿弥になるだけな気がする。

 

”甘えるなよ。それが人生、仕事ってもんだろ?”

”行かないと将来詰むぞ”

 

そんな声が頭の中でする。わかっているけどそんな人生に何の意味があるのだろうか。最近は仕事のことばかりで趣味を楽しむ余裕すらなくなっているし、将来どころか今詰みそうになっている状況なのに?

 

確かに”甘え”はあるのだろう。家に居る方が安全なのだから。雇われている以上、困難な業務を遂行する義務が発生している。それができないなら去るのが社会のルールだ。

 

内的要因に目を向けると、怠けや甘えの精神があるのは否定できない事実だ。体を壊すのも、仕事でいっぱいになるのも自分のスキル不足で無能の証。もっと効率よく、正確に目の前の仕事に取り組まないからこうなったのではないか?

 

あるいは上司や上層部に今の状況を説明し、何なら対立さえ恐れず立ち向かわなかったのが原因ではないのか?

 

次は外的要因に目を向ける。とにかくノルマ&ノルマ。スピードを要求される。予定はすぐに変わり、連携は取れていない。事業だけでなく、他にもやることはいっぱいだ。

 

自部署内の課題解決も別のノルマになっている。テーマをかかげ、チームを作り、それらを決められた期日までに解決する。これが一向に進んでいない。アイデアを考える余裕が全くもってないのだ。

 

どんどん溜まっていく課題。増えていくトラブル。予定が変わり、次に何が来るのかわからないノルマ。どっから手を付けていいのやら。時間が足りない。でも報告はしないといけない。優先順位もクソもそこには存在しない。

 

また内的要因に戻るが、これら全てを必死こいてやればよかったのに。それが人生・仕事なのだから。ただもはや一体何のためなのかわからない。やりたいという意思はそこには存在せず。ただ指摘されないために取り繕う仕事。それに何の価値があるのだろうか。

 

外的としてはどうにもならない業務量。

内的としては人生を捧げる覚悟のなさ。

 

ちょっとまだ荒っぽい気がする。でも決断はしないといけない。どうしたらいいのかわからないままだ。

 

今日はこの辺で。