私にはもう時間がない

日々の出来事に対する議事録のようなもの

思考を吐き出し続ける

現在メンタルを崩して休養中。これまで何をやっていたのか吐き出していく。ゲームをやり切った後はやることもなくなり、病院だけでなくカウンセリングも受けながら、現実と向き合っていた。

 

こうなってしまった原因。復帰に至るモチベーションのなさ。その辺りは大体掴めてきた。なおこうして休んでいる間に、仕事で抱えていた案件がコロナで延期になったようで、現実的な負荷は1つ自然消滅していた。

 

そして決断。来週一度出社することにした。このままだと”良くない”それだけはわかっているので、取り敢えず動くことにしたのだ。ただモチベーション不足や業務内容、この先を考えると不安が大きく、逃げ出したい気分が日に日に大きくなっているのが事実だ。

 

それとは別にもう1つ。段々”不安”が大きくなっているのを感じる。仕事どうこうではなく、人生そのものに対する不安である。いつも付きまとっている訳でもない分、厄介だ。

 

そもそも何をするにも不安は発生するのは頭ではわかっている。でも油断するとフッと頭に湧いてくる。「もう仕事は続けられない」「また失敗して体調を崩す」「会社を辞めて転職も不可能」「仮にできても今より悪化する」「もう成長はできない、社会の要求に応えられない」「働けない、お金もない」「趣味もなくなる」「何も楽しめなくなる」

 

うーん・・・こうして書き出してみると、全てあくまで可能性の話なのがわかる。根本的に思考がバグっている気がする。いつからこうなった?年を取るにつれて色んな可能性が細くなっているのか?

 

環境と思考の両方。これを”本気”で変えようとしないと、このままではマズい気がする。具体策は何かないだろうか?まずは”ネット”。最近ずっとネットをしていて不安な情報を”敢えて”選択している気がする。これは動物的本能に基づいているのだろうけど。

 

次に趣味。この1年で確実に趣味全般に対する意欲が減少している。現実を向き合うことを優先し、”そんなこと”をやっている場合ではないと心のどこかで思っている節がある。もっともっと成長しないと生き残れない。そんな縛りを設けているようだ。

 

本来、人生に意味などなく、ただ楽しむこと、それ自体を否定することもまた意味はないはずだ。どうしてこうも有意性を求めてしまうのか。何をするにもちゃんとした理由を探してしまう節がある。

 

自分のブログを過去に遡っていく。確実に病んでいっているのがわかる。どうにもならない現実に耐え続ける日々。自身の成長以上に要求が増え、叱責されることも増えている。明らかについていけていない。

 

ちょっと極論だけど、1年ぐらい休んで”やりたいこと”に本気で取り組んだ方がいいのかもしれない。このままだとどのみち潰れてしまう気がする。来週会社に行ってどうなるか次第だけど、現実をちゃんと見て判断したい。

 

どうせ潰れるのなら、せめて後悔のないよう、全力で遊びつくすのを忘れないようにしよう。私にはもう時間がない。

 

今日はこの辺で。