私にはもう時間がない

日々の出来事に対する議事録のようなもの

久しぶりに不安で目が覚めた

起床。今日は久しぶりに不安で目が覚めた。寒さによるものかもしれないけど、一瞬確かに胸が痛むのを感じた。

 

現在、短期休職中で明日出社することにしたのだが、それが影響しているのだろう。大体半月ぶりの仕事。不安の感じるのは当然だけどやっぱり嫌な気分だ。

 

前まではこれを数ヶ月以上、もはやルーティーンのように過ごしていたと考えると我ながら恐ろしいと感じる。今ならわかるが異常な状態だったのは間違いない。

 

朝起きて行動するという習慣も崩れているので、今も眠気が残っている。少しでも取り戻すためにこうして文章を書いて時間を潰している。

 

休んでいる間、色々考えた。こうなった原因、やりたいこと、価値観、そして現実の仕事について。

 

原因はキャパオーバー、プレッシャーを全て自分で抱え込んでしまい、その結果どれも失敗してしまったこと。スキル不足、苦手もそこにはあったと思う。

 

やりたいことは外に出たり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、マンガを読んだりすること。あと仕事を通じて感謝されること。要は承認欲求である。

 

価値観。これは最近掴んだことだけど、”楽しさ”の他に感謝やお金など”有意性”を持っていることが分かった。家に引きこもるだけでなく、体を動かす意味でも外に出たり、出れなくとも好きな音楽を聴く方がメンタルには良いのにそれができない日があった。

 

これを探っていくと、”価値”がないからという答えに行きついた。人の役に立たないければ、お金になるようなことをしなければ意味がない。結局、買い物ついでに外に出て散歩して、日光の温かさや花や木の美しさに触れることで、それは間違いだと気づけた。

 

でもそれも”余裕”があるからこそかもしれない。仕事で潰れかけていた時も同じように感じれるだろうか?おそらく無理だと思う。やはり仕事を何とかする必要がある。

 

それ以外にも不安は残る。元には戻れないという不安。自分で決断して生み出した今の状態。もう前のように働くことは難しい。そして会社は社会貢献を通じて利益を追求する場であり、お金をもらう以上、要求がある。私にはその要求に応えられないという問題。

 

実際、今の職場で同じような状況に陥った人を何人も見てきた。そしてそこから元通りに復旧できた人は”皆無”である。上記に基づけば当然の帰結だろう。足手まといなのは事実だし、自覚しながら働き続けるのは難しいのだろう。異動や転職により環境を変えようもそれは同じこと。

 

これが競争社会。負けたら去る。それでいいのかもしれない。このまま無理して外の温かさを感じられなくなるのなら・・・。所謂レールから外れるのも終わりとは言い難いのかもしれない。

 

でも働かないとそれはそれで別の問題がある。そのジレンマとどう向き合っていくか、引き続き考えていきたい。

 

今日はこの辺で。